お大師さん

正蓮寺大日堂のお大師さんの法要

毎年 4月21日

正蓮寺大日堂には真言宗の開祖・空海(弘法大師)の像が安置されています
毎年、空海が入定した日(旧暦3月21日)にちなみ、4月21日「お大師さん」の徳を偲ぶ法要が行われます
この法要は、保存会の女性会員によって執り行われています

正蓮寺大日堂は、明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となり、宗教行事は行われていませんが「大師講」は今も受け継がれています

野神さん

昭和58年|記録作成等の措置を講ずべき
無形の民俗文化財

毎年 6月 第一日曜日

小綱町の野神行事(ノグチサン)について

小綱町では、農耕の守護神を祀る「野神行事(ノグチサン)」が古くから行われてきました
この行事は、田植え前の旧暦5月4日(現在は6月の第一日曜日)に、豊作や農作業の無事を祈るためのものです
かつては、農村の祭祀組織「宮座」が中心となり、野神塚で執り行われていました

行事の内容

  1. 準備
    当屋(行事の担当者)は、餅藁(もちわら)12把(閏年は13把)を使って約5mの蛇縄を作ります。これを竹かごにドクロ巻きにして収め、牛と農具の絵を描いた半紙を用意します
  2. 行列
    当屋、神主、先座、後座、村総代の順で行列を組み、竹かごを先座と後座の2人が担いで野神塚まで運びます。途中、町内の子どもたちが麦畑に隠れ、行列に土や泥を投げて騒ぐ風習もあったそうです
  3. 神事
    野神塚に着くと、ヨノミの大木に牛や農具の絵を貼り付け、蛇縄を巻きつけます
    その後、神主が祝詞を上げて神事を行います

蛇縄の由来

蛇縄は、昔、野神塚に白い蛇が棲みつき田んぼを荒らしたことから始まったとされています
村人が蛇を神として祀り、「田んぼを荒らさないでほしい」と願ったのが起源と伝えられています

文化財指定と復活

宮座が昭和60年代に途絶えたため、行事も中断していましたが、平成28年に野神塚が整備され、翌平成29年からは町内の子どもたちの行事として復活しました

昭和58年「大和の野神行事」の一つとして国の選択無形文化財に指定されました

小綱町の野神塚の場所
〒634-0811 奈良県橿原市小綱町5-15

すももの荒神さん

三宝大荒神

例祭 毎年 6月28日

三宝大荒神について

「三宝大荒神」は、奈良県の三大荒神の一つで、桜井市の「笠荒神」や野迫川村の「立里荒神社」と並び、火難除けや交通安全の神様として信仰されています
橿原市小綱町の飛鳥川堤(奈良県橿原市小綱町375番地)にある三宝大荒神遺跡に御神体が祀られています

歴史と由来

かつて、御神体は飛鳥川堤防にあった浄土宗の極楽寺に安置されていました
しかし、大洪水による飛鳥川の氾濫で極楽寺が流失し、荒神を祀っていた場所だけが残りました
約350年前、その地から三面六臂の小さな木彫りの像が発掘されたと言われています

例祭「すももの荒神さん」

三宝大荒神の例祭は毎年6月28日に行われます
すももが実る時期に開催されることから、地元では「すももの荒神さん」と呼ばれ、この祭りは大和平野中央部で一番早い夏祭りとして知られ、夜店が並び、多くの子どもたちで賑わいます

また、この祭りの日から浴衣を着ると厄除けになるという言い伝えがあり、「ゆかた祭り」としても親しまれています

三宝大荒神 授与品

御札 初穂料一体
500円
朱印 初穂料一体
300円

御札や御朱印は6月28日例祭当日お求めになれます
境内に御朱印申込書を設置しています
保存会活動日やイベント当日(お知らせに掲載/予約不要)には内覧、御朱印揮毫等に対応させて頂いています

三寶大荒神

正蓮寺大日堂の大祭
「大日さん」

大祭 毎年 7月15日

正蓮寺大日堂の夏の大祭「大日さん」は毎年7月15日に開催され、境内には夜店が並び、毎年地域の皆さんが訪れ賑わいをみせてくれます

地蔵さん

正蓮寺大日堂での「地蔵さん」法要

毎年 7月23日

正蓮寺大日堂に安置されている子安地蔵像の前で、毎年7月23日に「地蔵さん」の法要が行われます
この法要は、保存会の女性会員によって執り行われ、町内の子どもたちの健やかな成長を祈ります

正蓮寺大日堂は、明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となり、その後宗教行事は行われていませんが、地蔵にまつわる「地蔵講」は今でも続いています

入鹿神社の例祭「秋祭り」

入鹿神社の「秋祭り」

毎年10月の第二日曜日

入鹿神社の例祭である「秋祭り」神社の境内には、橿原市の有形民俗文化財に指定されている「小綱の楽車(だんじり)」が展示されます
また、宵宮では「子ども相撲」が行われ、賑やかな雰囲気に包まれます

子ども相撲 奉納


「夜宮祭」について

毎年10月 大祭前日

大祭前日「夜宮祭」では、地元の子どもたちを迎えて「子ども相撲」が奉納されます
伝えられているところによると、「神楽などを奏すると祭神が嫌って必ず雨を降らせる」とのことから、子ども相撲は「夜宮祭の夕刻」に入鹿神社の拝殿で奉納されるようになっています

小綱の楽車(だんじり)


令和3年|橿原市有形民俗文化財

小綱の楽車(だんじり)は二代目彫又の作

小綱の楽車(だんじり)は、制作年ははっきりしていませんが、彫刻の特徴から二代目(彫又)西岡又兵衛の作とされています
西岡又兵衛は泉州堺の名匠で、文政(1818年)から明治初期に活躍した人物です。小綱の楽車には源平合戦を題材にした美しい彫り物があります

伝えられている話によると、江戸末期から明治初期にかけて、泉州堺から小綱まで村の若者たちが竹ノ内峠を越えて楽車を曳いて帰ったそうです

小綱の楽車は1990年(平成2年)の紀元2650年祭をきっかけに、橿原市内の楽車10台とともに修復され、その後散乱していた西岡又兵衛の彫り物も復元されました

令和3年4月には、小綱の楽車を含む橿原市内の楽車10台が、市の有形民俗文化財に指定されました
毎年、入鹿神社の例祭(10月第2日曜日)では、小綱の楽車が展示されています

源平合戦の彫り物が素晴らしい

彫刻の内容

小綱の楽車(だんじり)の彫刻は、源平合戦に登場する武者たちを描いています
特に、主要な戦いの場面が一貫して描かれているのが特徴です。例えば、木曽義仲の勇戦、巴御前の勇戦、牛若丸の鞍馬山での修行、宇治川での先陣争い、平知盛の碇替え、源義経の八艘飛び、平教経の仁王立ち、一の谷の戦い、屋島の戦いなどのシーンが、彫刻師の彫又によって美しく彫り上げられています

小綱の楽車(だんじり)は、町内の交通事情等により近年は曳行されていませんが、入鹿神社例祭の秋祭りには神社境内に展示し、地元町民だけでなく、観光客の皆さまにもご見学頂いています

今は無くなってしまった伝統行事

康申さん「お日待ち」(庚申講)

康申さん「お日待ち」
(庚申講)

昭和の終わり頃まで、小綱町では「庚申講」と「お日待ち」という行事が行われていました
庚申の日に、人間の体内にいる「三尸虫(さんしちゅう)」が、その人間の悪事を天帝に報告して寿命を縮めると信じられていたため、地元では「庚申待ち」が行われていました
この行事では、女性たちが作った料理を持ち寄り、男性たちは夜を徹して飲みながら、健康祈願や厄除け、災難回避を祈りました
また、眠らないように顔にスミを塗ったり、胡椒をかけたり、太鼓を叩いたりしたと言われています

庚申塔と庚申塚

「庚申塔」や「庚申塚」は、道教に由来する信仰で建てられた石塔です
これらは三尸虫が村に入らないように、村の入り口に設置されることが多かったといいます
庚申講を3年18回続けた記念に建てられることが多く、江戸時代初期(寛永期以降)から広まりました
しかし、明治時代には政府が庚申信仰を迷信とみなし、街道沿いの庚申塔の撤去が進められました。その後、高度経済成長期の街道整備によって、残っていた庚申塔のほとんどが撤去または移転されました
小綱町の庚申塔も、村の入り口から入鹿神社境内の入り口、大鳥居西に移されたと思われます

「宮座」(宮座講)

「宮座」(宮座講)

「宮座講」と小綱町の祭り

小綱町にはかつて「宮座講」という農村の祭りを仕切る組織がありました
宮座講は、入鹿神社の氏子の中から選ばれた人々が、村の祭りを担当するもので、村の家々が輪番でその役目を担っていました

宮座講は「村中で座をする」という意味で、毎年決まった行事を担当し、村の1年間の伝統行事を受け継いでいました。この祭りの準備は、当屋(今年役を担う家)、先座(昨年担当した家)、後座(来年担当する家)の3つの家が協力して行いました

最大の祭り「宮座祭典」

一番大きな行事は10月の「宮座祭典」です
座を担当する家は、村の人々や親族、年配者を自宅に招待し、松茸飯を食事として振舞いました
祭りの供え物としては生きた鯉を供え、祭典が終わるとその鯉は神社の堀に放たれました

祭りの際、当屋の家々は白装束を着て、神主と一緒に入鹿神社の御神体を迎え入れ、神事を行いました。その後、みんなで会食をした後、提灯を持った行列で御神体を神社に送り返す「遷座祭」が行われました

宮座講の終わりとその後

祭りにかかる費用の多くは村が負担し、自治会からの補助もありましたが、1年間にわたる様々な村の伝統行事を当屋が負担する部分も大きく、昭和60年代には「宮座」が途絶えてしまいました
その後、伝統的な行事は自治会が中心となって行うようになりました

「宮座」の夜間の風景と「ローソク一本」行事

昔、小綱町では「宮座」の祭りで、夜に御神体を運ぶ行列が行われました
この行列は提灯の灯りで照らされ、暗闇の中を幻想的で風情のある雰囲気が漂っていました
行列に参加する子どもたちは、「ローソク一本おくれんけ」という掛け声をかけながら集落を歩き、家々からローソクや小銭を集める役目を担っていました

「ローソク一本」行事の復活

「宮座」がなくなった後、この「ローソク一本」の行事は長い間行われていませんでした
しかし、平成28年に入鹿神社の大祭(秋祭り)の子ども行事として、この伝統行事が復活しました